「痴人の愛」という不快極まりない名作
みなさんこんにちは。
文系大学生です。
ひたすら部屋に閉じこもって勉強をするか、そうでなければアルバイトに行くか、
ただそれだけだった私の夏休みも終盤を迎えました。
代り映えのない日常に何か気分転換をしようと思い、
父親の本棚から盗んで以来もうずいぶん積んだままであった谷崎潤一郎作「痴人の愛」を手に取りました。
以下に、その概要と感想をつらつらと述べてゆきます。
【注】ネタバレを含みます。
読了済みの方、さらっと読んだ気になりたい方だけどうぞ。
あらすじ
物語は終始主人公である「私(河合譲治)」の独白調で進行する一人称視点で、「私」が「ナオミ」と出会ってから彼女に溺れ、彼が彼女に完全敗北するまでを追っている。
田舎出身で中学を出た後上京して電気技師となり、嫁も取らず真面目に働く毎日を送っていた彼であった。彼は平凡な男であったが、結婚に関しては旧式を嫌ったために二十八になっても独身のままなのであったが、浅草雷門の近くにあるカフェエ・ダイヤモンドという店の給仕女をしていたナオミに何となく惹かれ声をかける。
当時十五であったナオミはそのカフェエでも新米で、そのせいか陰湿そうな表情をしており、それがどことなく賢く見えた。また顔立ちも西洋風(ハイカラ)に整っていた。またナオミというその名前の響きも、当時らしくないハイカラに感じた。
彼はナオミをこのままにしておくのは勿体ないと思い、カフェエの仕事を辞めさせ、彼自身の金で英語と音楽の稽古に通わせ、大森に家を買い同居することとなった。
彼はナオミを、心身ともにどこへ出しても恥ずかしくないレディーに育て上げようと心に誓うのだが、ナオミはその魂胆を見抜き巧みに利用し始める。ナオミは飽きっぽい性格から次第に勉学も疎かになり彼がそれを指摘しても機嫌を損ね、最終的に彼が謝って事なきを得る、というやり取りがパターン化し始める。そうして彼の壮大な教育方針はナオミの思い通りの方向に捻じ曲がっていく。
ある日彼が仕事から帰ると、ナオミが慶応大学に通う男子学生と立ち話をしているのに遭遇する。その時は何のこともなかったが、そのうちナオミにソシアル・ダンス(今日の社交ダンスにあたると思われる)を共に習おうと誘われる。そのソシアル・ダンスのダンススクールに関わっているのがその男子学生だった。
ダンススクールに通い始めるとナオミは公然と男子学生と懇意にし始め、やがてそのほかの男子学生も含めて醜関係を結ぶ。
それに怒った彼は一度ナオミを追い出すが、ナオミはダンスホールで知り合った男性たちの元を転々として暮らし歩いていることが分かる。
今度はナオミを追い出した彼の方がナオミのいない生活に参ってしまう。それを熟知しているナオミは彼の元へも顔を出し始めるが、夫婦ではなく友達として振舞う。彼はもはやナオミのの肉体的な魅力に完全に陶酔しており、最終的に彼はナオミのあらゆる条件を飲んで再び夫婦関係に戻ってもらうことになる。この時点でナオミは十九、主人公は三十二である。
エピローグとして、彼の語り口が現在に戻り、未だに全面降伏的な生活を送っていることが示される。彼は田舎から金を貰い大森から二度引っ越し、会社を辞職して、学校時代の二三の同窓と合資会社を立ち上げる。そうしてナオミは自由気ままで贅沢な生活を送る。本文は以下の一文で締められる。
ナオミは今年二十三で私は三十六になります。
ナオミという女
本書の何が不快かといえば、それはひとえにナオミの圧倒的なワガママさにあります。
ナオミの生まれは良くないですが、一方で生粋の江戸っ子であり、流行を捉えることはできたのです。またその西洋風な顔立ちから、「ハイカラ」という概念と相性も良かったわけです。
(このナオミの特徴は、田舎出身のガタイの良い低身長で生真面目な職人である主人公とは対照的に設定されています。)
しかし作品中に描かれるナオミの人格は超絶なる自己中心主義者そのもの。
十五歳という年齢で、十三個も年上の男に引き取られ教育まで施されているというのに、掃除はもちろん料理もせず欲しい服は全て買ってもらい、挙句の果てにはその養育者に背中を流してもらうという始末。
もちろん甘やかしている主人公も悪いです。まだ社会に出て間もない少女を家の中に引きこもらせ、社会との関わりを断ってしまえば、当然倫理観も歪むでしょう。
しかしだからといって、彼女のような存在がまかり通るなんて、
ゆ、許せない!(小説だけど)
私は、然るべき義務を果たさずに自分勝手なふるまいや生活をする人間に対して、生理的な嫌悪感を覚えてしまいます。
そして親の稼いだ金で大学へ通い、ロクな成績も出さない自分自身でもあります。
そうです自己嫌悪です。
一方で社会に出ていないからこそ、ナオミの行為は本能的な行為だと言えます。
つまり、ナオミは生まれついての小悪魔・痴女っていうわけです。
小悪魔・痴女でGoogle検索をしても、程度の差こそあれ方向性は同じです。
痴女はともかく、性別に関する語が含まれていないはずの小悪魔を検索しても女の子しか出てきません。
ですがナオミにその責任を問うのは理不尽であるような気もします。
生まれ持ってしまった性(さが)を責めるのは、身体的特徴を責めるのと似ている気がしますし、、、
しかし不快であることに変わりはないのです...!
この葛藤、全く別次元の問題であるし、なかなか決着がつきそうにありません。
しかし、谷崎も読者が読みながら悶え苦しむことを意図して描いたのでしょう。
痴人とは、
みなさんはこの小説のタイトルである「痴人の愛」の「痴人」、
誰を指していると思いますか?
「痴人」の辞書的な意味としては、
理性のない者。愚か者。痴 (し) れ者。
goo国語辞書より
(Wikipediaに「痴人」の記事が存在しませんでした。とても意外。)
とされています。
類語に「愚者」や「愚物」とあるので、
「愚か」という概念が強く締めていることが分かります。
この小説では、主人公が己の理性に負け、騙されていると知りながらもナオミの肉体的な魅力に飲み込まれてしまう描写が繰り返されています。
また、「痴漢」という言葉の辞書的な意味は、
1 女性にみだらないたずらをしかける男。
2 ばかな男。おろかもの。しれもの。
「秋毫も採 (とる) べき所なきの―たり」〈菊亭香水・世路日記〉
[補説]1は元来その行為を行う男の意であったが、最近では「電車内で女性に痴漢をしたとして訴えられる」のように「痴漢行為」の略の意でも用いる。
goo国語辞書より
痴漢(ちかん)とは、性暴力の一つであり[1]、相手の意に反して性的行為を行う者、もしくは行為そのものを指す。法律や条例によって処罰される性犯罪である。
とあるように、原義として「痴人」を男に限定したもの、という概念なのです。
ですから、
痴人=主人公
の構図が浮かび上がりやすいかと思います。
しかし一方で、「痴女」という言葉もありますよね。
さて、「痴女」の辞書的意味は、
痴女(ちじょ)とは、主にアダルトビデオで使われる俗語の一種とされ、猥褻行為を好む女性を指す。
概説[編集]
元々は性風俗業界の造語とも言われており、[要出典]多くの辞書には載っていない。痴漢の「漢」(男性)の対義語「女」を用いた操作的概念であり、明確な定義があるわけではない。淫乱な行為をする場合も痴女には含まれる。[要出典]
(今度はgoo国語辞書に記載なし。俗語なら仕方ない気もします。)
なるほど、「痴漢」の対概念として性風俗業界によって作られた語のようですね。
知っての通り(?)「痴女」という語は、犯罪級に性に対して積極的な女性、といったニュアンスでしょうか。
「小悪魔」については、
1 小さく力の弱い悪魔。しょうあくま。
2 男性の心を翻弄 (ほんろう) する、魅力的な若い女性。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/71205/meaning/m0u/%E5%B0%8F%E6%82%AA%E9%AD%94/
goo国語辞書より
Wikipedia「悪魔」のページに
比喩・強調としての「悪魔」
(中略)
「小悪魔」という表現は、見せかけの可愛らしさと性的魅力とで男性を誘惑する女性を指すことがある。「悪魔のささやき」は常に甘美である。神に従うのは潔癖さや信仰への忠誠が求められるなど厳しい道であるが、悪魔に従うのは堕落であり、むしろこちらの方が魅力的な場合が多い。
とありました。
「小悪魔」は、決して性的魅力に特化しているわけではないという点と、
「可愛らしさ」「若い」など、若さのニュアンスが含まれるという点で、「痴女」との違いが挙げられます。
この小説中では、露骨な性描写は存在せず、
——接吻を交わした...。その翌朝、
のような形で夜の営みがぼかされています。
また、主人公が完全に屈服した時点でさえもナオミは十九であり、十分に若いと言えます。
つまり、ナオミが備えているのは、酸いも甘いも経験した大人の魅力、というより若さも含んだエロさという意味での蠱惑的な美貌と言えるでしょう。
したがって、どちらかといえばナオミは「痴女」というより「小悪魔」なのでしょう。
こうして「痴人」「痴漢」「痴女」(「小悪魔」)を一気に見てみると、
盲目的に性欲に従ってしまった主人公も、
直感的に性を自らの武器としてしまったナオミも、「痴人」であると言えると思います。
谷崎の執筆当時、「痴女」や「小悪魔」という言葉が存在しなかったにせよ、
あえて男女を特定できない「痴人」という言葉を採用したのは、このあたりに意味があるのではないでしょうか。
しかし、痴人の「愛」に着目すると、記事がこの倍くらいの長さになってしまいそうなので、この辺りで一旦筆を置くとします。
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